三豊百貨店崩壊事故

掲載日時 2013.10.01(火)21:05    製品・施設 製品・施設     コメン卜コメント(0)
三豊百貨店

三豊百貨店(サムプンひゃっかてん)は、大韓民国のソウル特別市瑞草区にかつてあった百貨店。

1989年に開店。6年後の1995年6月29日17時57分(KST、日本時間同)、営業中に突然、5階建ての建物の両端の一部を残し、跡形もなく崩壊。

三豊百貨店開業記念CM(1990年)
https://www.youtube.com/watch?v=Ip2wnzG51PU


崩壊1日前の様子
5階のレストランの写真
一目見て分かるようにレストランのテーブルが傾いている
食事中には天井から砂が落ちてきたという
あっ韓ニュース

崩壊1日前の様子
デパートの屋上の写真
下の階の柱が上に飛び出しているのが分かる
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そして翌日の1995年6月29日午後6時頃…
午前から、デパート屋上に20センチの亀裂が走っていた。荷重計算をせずに屋上に無断で設置した200tの冷却塔のせいだ。亀裂が広がるのを防ぐために、経営陣は冷却塔から水を抜き、エアコンを切った。しかし当時、デパートの中にいた数千人の客と従業員はこの事実を全く知らされなかった。経営陣は「亀裂が入り始めた事実を客には絶対に知らせるな」と箝口令を敷き、建物の崩壊直前にデパートから逃れた。午後5時55分、わずか築5年の三豊デパートは一瞬で崩壊した。

(中央日報「三豊デパート崩壊から19年、その後…」より 2014/06/29 09:17)

三豊百貨店崩壊事故

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死亡者数502人
けが人937人
行方不明者数5人


その日、江南上空は消防用ヘリコプターが飛び交い、事故後数日間、周囲は死体の腐敗した臭いが漂った。ソウル最高級マンションであった三豊アパートの価格は一気に最安値まで下落した。

当初この建物は、経営母体の三豊建設産業によって地上4階・地下4階建てのオフィスビルとする予定で起工したが、建設途中で三豊側が5階建てのデパートにすることに決定。施工者の宇成建設に変更を要求したものの、宇成建設が設計変更を行うのは危険だとして拒否。このため基礎工事が終わった段階で、三豊建設産業が直接施工することになった。

売り場に防火シャッターを設置するため、ビル中央部の柱の一部(4分の1)を撤去。また中央部にエスカレーターを設置し吹き抜け構造とする際に、本来なら柱を補強すべきところを見た目を重視したあまり、逆に4分の3ほどの細さに削減。

その結果、ビル自体が構造的に弱くなってしまった。加えて先述の通り、当初計画より階数を1フロア増やしたため、その階の建設に使用されたコンクリートだけで3000トンもの重量増となったばかりか、80トンの給水タンクが屋上に設置されたことで、当初計画通りの柱ですら過負荷となるほどの大きな負荷がかかるようになっていた。

さらに以下の点が原因として挙げられる。
・5階の床暖房にコンクリートの使用量が増加した。
・鉄筋の代わりに石油缶を詰めていた。
・屋上の大型冷房装置(87トン)を反対側まで引きずって移動させたため。


また、

1. 前日に5階の従業員が天井(屋上)のひび割れに気づいており、崩壊当日の朝にはひび割れが大きくなっていたため、すぐに上司に報告した。
2. 午前9時の段階で経営陣が集まり緊急会議を開いたが、その間も営業は続行していた。
3. 午後3時に社長が呼んだ建築士が到着して調査したが、「閉店後に補修すれば問題ない」と過小報告していた。

三豊百貨店崩壊7分後公開された映像
https://www.youtube.com/watch?v=rFV_qiv7Nfo


YTNの取材で、当時のデパート(またはその周辺)の監視カメラ映像の中で、事故現場から服を盗んで逃走する中年女性の姿が確認された。
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現在、三豊百貨店の跡地には、
江南最高級住宅商店複合マンション
「アクロビスタ」が建てられている。
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三豊百貨店のオーナーであった
イ・ジュン会長は、10年の刑を受け病死した。
会長と彼の家族は、500億ウォンを超えた財産を全て没収され、
三豊建設、三豊物産なども全て倒産、解体された。

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